もし、
あなたが《そいつ》の目を氣にして動けないなら
こう自分に聞いてみてほしい。
「そいつが死ぬ瞬間、そいつは(あなた)を思い出すか?」
そいつが死ぬ瞬間まで、
「あぁ、(あなた)が生意氣だったな」
「(あなた)はいつまで経ってもダメだな」
そう思うだろうか?
人は死ぬとき
光を見るという。
心臓が停止したあと
数十秒のあいだ
脳の中の松果体が
私たちに「イイモノ」を
見せてくれるらしい。
そのイイモノは、
キリストから救われる場面や
大きなチカラに導かれたり
光に包まれる
など
恍惚の世界であるらしいのだ。
(爬虫類時代から備わる松果体よ、ありがとう 笑)
だから、
あなたがいつも氣にしている
《そいつ》が死ぬ瞬間、
あなたを思い出すことは
100%ない。
逆に、
あなたも《そいつ》を
思い出すことはない。
そんな暇なく、光見るのに忙しいから。笑
《そいつ》もあなたも
イイ氣分で死んでいく。
じゃあ、
何を氣にしているのだろう?
今、この一瞬
「どう思われるか」を氣にして
どれだけの時間を無駄にするんだろう。
死ぬ瞬間、
誰も覚えていないのに。
ましてや、
死ぬ瞬間は恍惚の世界なのに。
最後が約束されているなら、
途中経過の今を
《そいつ》に奪われるなんて
もったいない。
”今”だって、
恍惚の世界にしてやろうじゃないか。
誰の目も氣にせず
思い通りに生きていい。
どうせ、最後は
恍惚の世界で終わるんだから。
思いっきり、生きようぜ。