オープンソウルアドバイザーのTomoです♡
セッション中の全開シスターズから
こんな相談をされました。
「いつも、夫と戦ってしまいます。どうしたらいいでしょう….」
ぜひ、完全降伏してください。
もう、手をあげて
「私には何の武器もない」
「これ以上、戦えない」と
悔しくても
完全に負けてください。
降伏するには覚悟がいります。
私は、一度夫に完全降伏しました。
もう、それしか道はありませんでした。
※これから先の文章には、
意図的に「痛み」の表現があります。
食事中の方や妊娠中の方、
また不快に感じられる方もいるかもしれませんので注意の上読み進めてください。
約6年前に長女を出産しました。
胎児の回旋異常と頭血腫により産道からなかなかおりてくることが出来ず3日間に及ぶ難産で、私自身も失神寸前の状態でした。
産後、数日間は車椅子での生活
まだ体が回復していないにも関わらず
退院後2ヶ月半での仕事復帰。
クソ完璧主義の私は
慣れない育児と仕事の両立の中で
自分の体なんぞ二の次でした。
出産後1年半は抗生物質を飲み続け
ムチを打ち続け体はボロボロ。
立ちくらみ、
光によるめまい、頭痛、吐き氣。
体中の痛みを常に感じながらの育児と仕事。
氣が触れた状態になり
突然泣き出したり
叫んだり
子供を殺そうとしたり
暗い部屋の中で泣き叫ぶ子供と
すべてが痛くてたまらない
小さな私がいました。
誰にも助けてなんて言えませんでした。
だって、私の母だって完璧なんだもん。
私だって出来るはず。
やって当たり前。
やって当然。
やれなきゃおかしい。
やれなきゃダメ。
そんなことも出来ない私には価値がない。
ただひとつ、
本当に誰にも言えなかった
もうひとつの「痛み」がありました。
それは、「会陰切開」の痛みです。
長女出産時、
胎児が産道で長時間圧迫されたことによる
頭血腫といわれる大きなタンコブがあり
産まれる時には
切開した会陰はさらに大きく裂けました。
それは、
長らく「排便が普通に出来ない」状態になるほどの傷となったのです。
長女のタンコブは1歳になるころには
わからないくらいになりました。
産後うつ状態でワンオペ育児
仕事に忙殺され
精神も危うい状態で
それでも1番痛かったのは
この「会陰切開の傷」でした。
動くたびにひきつる感じが残り
普通に排便すら出来ない。
また裂けるような、恐怖感。
誰にも話せませんでした。
それまで、支えてくれていた夫ですが
産後うつになった私はもう限界になり
ほぼ毎日手当り次第にキレまくり
発狂し
思い通りにならない現実
夫の育児能力のなさを
これでもかと責め上げ
それに対して反論してくる夫と
殺し合いをしていました。
ある日、私の何かが
プチっと切れました。
いつも通りに、言い合っていたのです。
でも、
もう限界だったと思います。
何かが音をたてて
切れました。
私はむせび泣くように
「普通に排便すら出来ない」と
言っていました。
頑張って
苦しくて
痛くて
もう、これ以上
何も無かった。
「もう、無理です。」と、
やっと言えた。
どうせ、男に出産の痛みなんて
分かってもらえない。
どうせ、男に育児のつらさなんて
分かってもらえない。
どうせ
どうせ
男である夫をバカにしていた私は、
「育児くらいできない女は価値がない。」
という檻の中で
同時に女である自分のこともバカにしていました。
「私には何もありません。」
と、降伏した時
私は何に対してかもわからないけど
悔しくて
悔しくてたまらなく
泣きつづけました。
それを見て、
夫は「ごめんね」
「今まで痛かったね」
「ありがとう」と
言ってくれました。
それから私は、
本当に小さなことでも
すべて話すようになりました。
例え、
相手が理解できなくても
勝手に決めつけずに
話すこと。
それから、私たちの関係も良くなっていきました。
いまは、
時々「俺の育児能力が足りなくてごめんね」と冗談が言い合えます。
男とか女の問題じゃない。
ただ自分が負けたくなかっただけなんだ。
降伏は幸福のちかみち。
両手をあげて
「私には何もありません」と言えたら
幸福になる覚悟が出来ています。
降伏しかねぇわ。笑
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