オープンソウルアドバイザーのTomoです♡
初ワークショップから一夜あけ、
喉ガラガラです。笑
さて、昨日ご参加頂いていた方の中に
難聴の方がいらっしゃっていて
ワークショップ終わりのお茶してる時に
「Tomoさんのブログに衝撃を受けた記事がある」と言っていました。
この記事です。
「こんなことまで言っていいの?」
と感じられたそうです

私は、もともと差別・区別が苦手で(差別が好きな人もいるよね)
それは、おそらく
前世の記憶の中に黒人奴隷と関わりのあった
時代のものがあるからだと思います。
人って基本的感情として【安心】したいので、「自分と違うもの」「わからないもの」に名前をつけて、レッテルを貼り、区別することで安心したい動物なんですよね。
でも実は、脳の奥底では他人と自分を区別できてはいない。
それは、性別や障害、肌の色・言語の違いなど
さまざまに現れます。
で、それが一概に「悪いこと」ではないとは思うけど
人間の求める感情として出てしまうから
とても残念に思うのが
障害を持っている方が「自分は迷惑をかける」と思っていること。
そう思わせてしまっているのは、「普通の人」という名前の人達です。
つまり、私も。
岡山在住の量子力学仲間のブログです⬇
あんな災害の状況の中、避難して「迷惑をかけない人」という名前の人はいるのでしょうか?
「普通の人」の名前をもつ私だってパニックになると思います。
動揺して、イライラして人に当たったり
プライバシーのない中で、情緒不安定になると思います。
東日本大震災の時も、
避難所で鬱状態になった方はかなりいましたよね。
そんな中、本当に自分が「普通の人」かなんて誰が分かるのでしょう?
命の危険があるのに、「迷惑をかける」という理由で避難を躊躇する。
その言っている言葉に対する重みがとても辛かったです。
もちろん、さまざまな障害がありますから
身体的に他人を頼らざるを得なくなることもあるでしょう。
他人が「わからない」からこそ、障害者という名前だけの判断ではなく症状や対処法などがわかるように書かれた防水シートを持っておくことも必要だと思います。
支援のための「名前」なら必要だと思います。
でも、その名前があることによって「迷惑をかける」と思わせていることが悔しいです。
私のお店は、特別支援学校の近くにあるので障害を持つ方も来られます。
また、難聴をもつ常連さんもいらっしゃり、いつも筆記や口の動きで会話をします。
どこまでを普通というのか、
どこまでを障害というのか。
日本語を喋れない人
心が不安定な人など
簡単にひとくくりにはできない人間が集まって日本はできています。
私たち「普通」という名前をもつ人たちと「障害」という名前をもつ人たちと、対策を考え最大の支援を「全て」の人にするべきだと思います。
全員が「迷惑をかける人」として。
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