今日も農作業でヘトヘトです。
途中、風が強すぎて倒れそうでした・・・
でも、やっぱり冬野菜の美味しさは格別ですね💛
農作業と収穫&食べるのは大好きですが、
肝心の料理が・・・(´;ω;`)キライ
だれか作ってください。
なぜ、私は料理上手な特性を選ばなかったのだろうか・・・。
謎です。
(それが必要なかったんだ!と叫びたいですが、必要ですw)
・
・
・
実験場である地球
この地球は「完成」を求めていません。
不完全であることが完璧な状態です。
この地球は実験場であり、
私たちは「経験」を欲しています。
ロボットのように、同じことを繰り返し
大量に同じものを作り続けることが不自然であるように
「変わりゆくもの」が地球の根底です。
変わらないもの
「変わりゆくもの」が地球の根底にあり、
私たち自身も変わりゆく個人です。
ですが、しいて1つ「変わらないもの」を挙げるならば
「変わりゆくもの」を見ている者でしょう。
それはどこにいるのでしょうか。
「変わりゆく」地球、「変わりゆく」個人、
それらを見ている「変わらないもの」・・・
その見る者、見られる者によって世界は出来ており
実はそのどちらも私たちは同時に体験しています。
視点を変えよ
「私はなぜ私なのか」その問いは哲学の歴史においても
長く語られてきました。
パスカル、ハイデッカー、シュレディンガー・・・
誰もが「私」という存在を不可思議な者であると認識しています。
「私」というのは、哲学的に解釈すると「そこにいる者」と訳されます。
では、「そこにいる者」は本当に私一人でしょうか?
「私」は多様な人格と内包した小宇宙によって創られており
さらに60兆個におよぶ細胞が秒単位で生き死にを繰り返し
数秒前の「私」とは違う「私」が「そこにいる者」となります。
ただ、その様子を見ているもの(認識するもの)が確実に存在していて
それは「変わりゆくもの」を「変わらないもの」として受け入れているのです。
ここまで書いて、何がいいたいのか
さっぱり分からなくなりました(笑)
最初に書いていたのは、なんでしたっけ??(笑)
え、夜ご飯作ってほしいってこと?
それは本当に「そこにいる」「私」が書いたんですか・・・?
ああ、こんな事書いてるから
さらに料理をする氣がなくなってくるんです。
だから、誰か作ってください。
と、一瞬前の「私」が書いています。
と、一瞬前の「私」が書いています。
と、一瞬前の「私」が書いています。
と、一瞬前の「私」が書いています。
はい、もう沼ですね。
ということで、「変わりゆくもの」は「変わらないもの」と
同時に存在しているというお話でした。
(本当か?w)
時々、こういう哲学の沼にハマるTOMOです。
視点
視点
視点
ただのHENTAIです・・・ご容赦ください~~(笑)