畑に関わってから、毎日が神秘の連続です。
夏にうちに来てくれた幼虫たちが蛹になり
うまく羽化した子たちも居れば
最近は羽化不全になり飛べないまま、循環の一部を全うした子もいました。
その時々で、私は自分の思い込みに氣づき
勝手に心配するエゴや、美しさの定義を覆されました。
生きる姿に圧倒され、
言葉は通じなくても、種を超えて
その「存在」により、自分への学びを深めることができました。
まさに地球は学びだらけの星です。
どこか遠くの神に願わなくとも
すぐ足元に神秘と学びはあります。
私たちは、種を超えてお互いに学び合おうとしているのです。
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諦めろ
あきらめる=明らかにする、と私はよくお伝えしています。
あきらめろ、と言われたらそりゃネガティブな意味として捉えるかもしれませんが
そうではありません。
あきらめる、は、今の自分を明らかにしていくことで
「できること」と「できないこと」を判断するものでもあります。
私たちは、結局「できること」しかできないわけで
「できない」のに請け負っちゃったり、
キャパオーバーなのに見栄を張ることで認めてもらおうとするが為に
まわりまわって、結局「できない」自分を否定することになるんです。
で、また認められようとする。
それって、自分だけでぐるぐる回ってキツイ展開をSMプレイしてるだけなんですよね。
制限があるから面白い
できる、できない、私にだってあります。
みんなにだってあるはず。
この地球は制限だらけです。
その中でどうやって、自分の心地いいを選択できるのか?
それこそがこの地球の遊びかたであり
地球というアトラクションの乗り方でもあります。
乗り方がわかってきたら、最高に面白いアトラクションであることを理解します。
制限があるからこそ、面白い。
あなたはそう感じていますか?
生も死も循環のひとつ
去年から今年は、生と死についてよく考えるタイミングでした。
人間に起こる死は、人間のものだけではありません。
この地球に生きる生き物たちみんなに平等なものです。
死は決して邪悪なものではなく、循環という営みの一部で
それらは生へと繋がっています。
畑にいる虫たちにも、生きてる神秘があり
私たちにも同様に生きている神秘があります。
その存在そのものが示しているのは、まさに宇宙の光陰で
どちらも愛で出来ています。
愛は循環であり、その循環の神秘にいるのが
まさに私たちです。
決して重くもなく、軽くもなく、そこに優劣もなく
ストンと存在する。
愛という私たちをジャッジしているのは、誰でしょうか?
そこから抜け出せたら、
私たちはもう一歩、先に進むはずです。
今日という神秘を一緒に歩いていきましょう。
今日も伴走していますよ💛