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出身星と目覚め

今日の動画は「出身星」についてのお話でした。

というわけで、少し出身星と目覚めについてブログでシェアしたいと思います。

私にとって出身星といえば、一般的な謎めいたワクワクより

「わりといろいろあった実家」を思い出す感覚になるんですよね。

もちろん、一番最初にシリウスが出身星だと思い出した時は

「私のほんとうの居場所」感があって心から嬉しく、興奮して、

何も知らない実の親にまで言おうとしたくらいでしたから(笑)よっぽど歓喜にわいたはずなんです。



そこから、どんどん思い出していくにつれて

「そういえばあんなこともあったな」とか

まるで幼少期にはわからなかった親族の内幕が大人になって理解できるような感覚で

その当時(?)の感覚がどんどん思い出されて、感情的にというよりは

少し合理的な見方で「わたし」というものとシリウスについて考えるようになっていきました。



【目覚め】というものは、ある時爆発的な見地を得て

そこからの「理解」を超えて因果的・相対的な”すべて”を達観できることだと思います。

ちょっと難しくなってしまいましたが、

たとえば私でいうところのシリウスが出身星だとわかることで(ある一種の目覚め)

これまでの「わたし」を説明出来うる環境・材料・縁を知ることになるわけです。

それはそれは私の中で爆発的な革命を起こし、全宇宙を揺るがすような衝撃を得るわけですが。

そこの地点からまた現在の「わたし」を知っていくことで

私を包み込んでいる「地球」「人間」「存在」など”今”を構成している万物を

やっと受け入れるようになる。(またある一種の目覚め)

そして、すべてがジャッジを手放した先にある【氣づき】と【学び】であった、そしてこれからもそれらが続いていく。(またまたある一種の目覚め)

その【氣づき】は終わることがない。

だから今を味わいながら生きる。

そうやって、今と生が繰り返されるのが「目覚め」の本質であると思っています。



つまりは、目覚めは一回で終わることなく繰り返し【氣づいていく】そのプロセスの中にあります。

一回で「目覚めた!」と言っているひとは「その地点」しか知らず、

「そこからのわたし」への終わりなき氣づきが目覚めの本質であることに氣づくことができない、ということでもあります。

(最初の目覚めで爆発的な革命を感じるので、誇示したくなるのも理解できますけど^^)



難しい話が長くなりましたが、

私が言いたいのは「目覚め」を繰り返すのは過去・未来・どこか違う場所のわたしではなく

今の「わたし」であるということです。

出身星が目覚めのきっかけの一つとなることはもちろん否定できませんが、

それに囚われ、今の「わたし」を感じきれなければ目覚めは繰り返されません。

これは、夢物語やふわふわしたスピリチュアルではなく

世界というものを少し合理的な視点で見ることも必要であると思います。

いまだに「目覚めはポジティブレーンにのること」など「どちらか」に

振り分けたい人もいます。

選別される不安によって、人々は「どちらか」を選ばないといけないという強迫観念に縛られます。

ですが、どの視点においてもすべてがひとつの「氣づき」であることを理解し

その目覚めのプロセスを含めて「わたし」を知っていくと、

旅路においての揺らぎも愛おしいものだなと思うわけです。

もしこの記事が「?」と思われる場合はスルーしていただいてもいいですし、

また時を置いて読み返していただくと何か「氣づき」があるかもしれません。

なんにせよ、私たちは「氣づき」を常に体験していて

今も目覚めのプロセスの中にいます。

その私を感じきること、味わいきることが

次の「氣づき」への歩みとなります。

大丈夫、一歩ずつ進んでいますよ♡

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