現在、我が家は秋の大移動中です。
リトル(といっても子供の足より全然デカい亀)の水槽を
2階にお引越しさせるという私の苦手な力仕事ですね。
ということで、コメダに逃げてきました(笑)
5日間はミニシロノワールが440円→220円だそうですよ~(助かります~)
以前は、シロノワールについている「シロップ」を罪悪感のあまり
あまりかけずに食べていましたが今はガンガンかけます(笑)
「甘いもの」を食べようとしているのに、
罪悪感から「あまり甘くしないように」している自分に違和感が出始めたんです。
楽しいことをしようとしているのに
楽しんじゃいけない。
幸せになろうとしているのに
幸せになっちゃいけない。
「私だけ、幸せになっちゃいけない」
「みんなより楽しんじゃいけない」
そんな無意識下における【罪悪感】の支配がありました。
どこかで、自制をしなきゃいけない
あとで、悪いことが起きる
どこかで、罰があたる
そんな感じですね^^;
罰なんて当たりゃせんし、罪なんてない
そもそも罰という概念は、権力者が支配するために作った概念です。
そして罰を与えるために罪が存在します。
もう何十世紀とその縄に縛り上げられていましたね(変態ね~)
ここには変態さんばかりなので、きっとお分かりになると思います。(笑)
私たちが「真に自由」だとしたら
私たちを縛る縄は実はすぐにほどけるのであれば
それでも自分を縛り上げるのなら、それはただの「どМ」です。
それはただのプレイです。
プレイですので、ご自由にどうぞ。
その「自由」を私たちはすでに持っているということです。
それに氣づけたら、
どんな「プレイ」も自由に楽しめます。