魂に性別はない。
でも、女性とか、男性とか
生まれた時の生殖機能として区別できてしまうのが世の中。
そのために「女性なら子育て」「男性なら仕事」と振り分けられるのだけど、
そこに違和感があるのは
魂に性別がないことを知っているから。
女性性は女性らしくいることではない
とはいえ、
「あなた女性性ってよく言うじゃない?」
「女性性なら女性らしさってことでしょ?」と思われてる人も多いかもしれない。
女性性とは、女性らしさではなく
エネルギーの性質のことを言っているのだけど
なんせ「女性」と名がついてるだけに混乱させてしまうのは、申し訳ない。
(とはいえ、名付け親面してる私も私)
エネルギーの性質として
「女性性」とは、
・愛
・受容
・育む
・癒す
etc
「男性性」とは
・行動
・達成
・変革
・勇氣
etc
何となくでも分かってもらえると嬉しいけれど、
女性性は内向きのエネルギー。
男性性は外向きのエネルギーだと言ったほうが理解しやすいかもしれない。
誰もが女性性・男性性を持っている
みんなどちらも持っている。
女性であるからといって、女性性ばかりではない。
逆もしかり。
そして、宇宙の中に存在するエネルギー体である地球にも
この女性性と男性性がある。
地球意識として、これまで男性性に偏ってきた流れから
女性性の流れに向かっていくのが「風の時代」であるといえる。
(発展・達成・成長してきた流れから、環境を守り、育て、生かしていく流れになっていることは誰もが理解できるはず。)
だからといって、男性性がなくなるわけではなく女性性を支えながらバランスを保っていくというかたちで、
これまでの現実を変革する「勇氣」や「パワー」としてその男性性エネルギーが必要になる。
そのエネルギー体である地球の上に私たちはいるわけだから、当然その流れに沿った方がいいわけなのだけど
なんせ、これまでの男性らしく、女性らしくというクソみたいな(でたw)概念のせいで私たち自身の性に翻弄されてきた。
女性らしく、男性らしくいるより
性別を超えた心地良さを選ぶ
結局、私たちは両性を持っているのであり
グレーゾーンなわけだ。
もはや、子作りをして子孫繁栄するためだけの存在でもなくなっていると私は感じている。
ならば、性別は「きのこ派」「たけのこ派」くらいの好みにしておいて、
性別を超えた心地良さを追究すべきではないか。
(たけのこ派からの呪いには注意ね)
この地球だって、どちらのエネルギーも持っている。
性別は関係ない。
両性であることを謳歌して、
この地球で遊び倒したって
それは女性らしくない、わけでもなく
男性らしくない、わけでもなく
至極「人間らしい」ものであると私は思う。
この人類はそんな魂であると、そろそろ感じはじめてきたらしい。
もっと私たちは、愛を持って心地よくいれる。
もっとこの地球で遊ばせてもらっていいんだ。
それを承知でこの地球は私たちを愛してくれているのだから。