昨日は、母たちとのクリスマスパーティーでした。
子供たちの大好きな揚げ物三昧のオードブルとケーキで、お腹いっぱいすぎて眠れませんでした。(笑)
こんな風に、平和にクリスマスを祝えるなんて本当に幸せなんだと思います。
何か特別なものはなくても、
日々「なぜか生きている神秘」がココにあること
嬉しいや楽しい、美味しいを味わえること
悔しいや悲しいを感じられること
誰かに喜んでほしいと
相手を想えること
「なぜか生きている神秘」の中には
大きな成功や栄光はなくても
そんな小さな灯りで
私の世界を照らしてくれます。
「そんなこと」でいいのだと思うのです。
私たちは、ついつい無いものねだりをして
自分をランキング付けします。
この世界の中で、自分は何番目に幸せなのか?
あの人が幸せになったから、私の順位が下がってしまった。
あの人が不幸になったから、
私は順位が上がった。
そうやって、他人の幸・不幸ばかり氣にして
自分のランキングを上げようと必死です。
幸せとは、主観であり絶対的なもの
「嬉しいなぁ」「幸せだなぁ」と感じた時点で、
あなたは幸せです。
大金を持っていなくても、
体が不自由でも、
その中で小さな灯りに氣づけたら
私たちは「幸せ」なんです。
逆に、
生活できるだけのお金をもっていても
体が健康でも
「あの人より貧乏」
「私の体はココがダメ」と
他人と比べてばかりいると
幸せは感じられません。
なぜなら、幸せとは
数字で表せるものではなく
「主観」だからです。
そして、幸せは
相手と比較できるものではなく
絶対的なものだからです。
今、「嬉しい」と感じたらそれでOK
昨日の子供たちは、
祖父母が家にくるだけで
とても嬉しそうでした。
さらに、プレゼントまでもらって
もっと嬉しそうでした。
そして、1日が終わる頃には
「人生で最高の日だった」と5歳の息子と9歳の娘は口を揃えて満足氣に語っていました。(笑)
そんな子供たちを見る度に思います。
いつもこんなに新鮮な氣持ちで、
「今」を楽しんで
「今」を味わえたら
どんなに素晴らしいだろう。
今、「嬉しい」と感じたらOK。
それを積み重ねて、人生って続いていくんじゃないかなと思うんです。
未知さえ楽しむ
いつしか私たちは、「今、嬉しい」「今、楽しい」が当たり前になって
もっと、もっとと欲張って
そのツケとして
「次は楽しいかな」とだんだんと不安を膨らませ
「次の次は…」と、未来への心配ばかりしているんじゃないでしょうか?
もちろん、たくさんの出来事を経験すればするほど、
心配事は増えますが
でも、それは子供でも条件は同じで
誰もが「未知のミライ」を歩んでいます。
そんな「未知のミライ」を心配するより、
「今」を味わい生きた方がよっぽど建設的ですよね。
そして、「未知のミライ」は
「今」の積み重ねだったと分かれば
「今を味わうこと」の意味がようやく分かってくるのでしょう。
未知さえ楽しむ
これが私たち大人にとって
2022年たいせつなことなのかもしれません。
さあ、未知の2022年はもうすぐです。
まずは、「今」を楽しみ味わうことから!!
みんなで楽しめば怖くない!(笑)