突然ですが、みなさんは、
明日「自分」であると確信していますか?
そう、あなたは明日、
あなたでしょうか?
「あ、はい、たぶん…」
そんな答えがきっと返ってきそうですね。(笑)
私は、ずっと
小さい頃から「私」の連続性に疑問を持っていました。
なぜ明日も「私」なのか?
もしかして明日、私が
ナタリーポートマンになっていてもいいはずです。(願わくばそうなりたい)

いや、ゼンデイヤでもいい。(絶対むり)

なぜ私は、明日も私なのでしょう?
そんなことを
ずっと考えていたから
ハイデガーやウィトゲンシュタインを読み耽るような
こんな変態が出来上がってしまったのでしょう…(笑)
どんな哲学者であろうと「私」を解明できない
どんな崇高な言葉を並べても
私は私であり
どうして私がここに在るのか
なぜ私なのか
それをカタチとして表すことはできない。
(もし、すでに解明されているのであればSiriに聞けばわかる)
全ては神秘で奇跡である
はい、終了。
もう考えるのやーめた。
なんか分からんけど
なんか知らんけど
「私」がここに在るのは
神秘と奇跡の仕業です。
人は、「分からない」ことが怖い。
だから、言葉でなんとか説明しようとする。
なんとか、納得できるような「答え」を出そうとする。
人類史上最大のナゾは、
未だ「これ」という答えが出ないでいる。
ひとつだけ事実がある
それは、今ここに「私」がいるということ。
これだけが、事実であり真実だ。
なんか知らんけど、
なんか分からないけど、
今ここに私がいる。
それって、
神秘じゃね?
奇跡じゃね?
その言葉じゃ納得できない?
「神秘」や「奇跡」のはずがない?
なにか理由があるはず?
納得したい、
納得したい
納得したい…
ぐるぐる 囚
お任せする勇氣、信じる努力
「なぜか生きてる神秘」
それを理解した時、いろんなものを同時に感じる。
不思議さ
純粋さ
不安
怖さ
これまでも宇宙にお任せで生きてきたのに
これから宇宙にお任せするには勇氣がいる(笑)
(ほんと人間ってw)
この神秘を享受したとき
同時にその理解を超えたものへ
対峙する恐怖を伴う。
(これまでお任せしてきたのにw)
つまり、私たちには
お任せする勇氣が必要で
その奇跡を信じる努力が必要ってことだ。
難解な問いからの解放
神秘や奇跡といった子供でも言えてしまいそうな、ワードで
この難解な問いに答えを出した私。
おそらく数々の言葉を並べたて
インテリちっくに解答をだしたとしても
それは、神秘には及ばない。
そうやって、
宇宙にお任せして
この奇跡の旅路に人間程度の答えをだすことなく
ただただ信じて味わい
愛していく。
私は奇跡である、
そう私は私を定義する。
私はそれを信じる。
シンプルにそれでいいのだ、と
私を解き放つ。
