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小さな幸せの記憶

今日はさむ~い雨。

こんな日は家でゆーっくり。。。

とはいかず。。。

娘の「昭和を知ろう」授業の一環で

大分県豊後高田市にある【昭和の町】までクルマを走らせています。

(さむいよー)



私の母はビジネスウーマンだったので

1年の半分は出張で家にいませんでした。



出張でないときでさえ、

ほぼ仕事ばかりだったので

一緒に「おでかけ」した記憶はありません。



ただ強烈に覚えているのは、

私が「10歳の誕生日のお祝いは

海でしたい」と言って、

みんなで海にいきケーキを食べた思い出があります。(海で食べるケーキはクソ不味かった 爆)

そんな数少ない家族の思い出を抱きしめて、私は大人になりました。



もっともっとたくさんの思い出があれば、「幸せ」なのかもしれません。

でも、こうやって私というものが創られる過程の中で

数少ない思い出でさえ、とても貴重であり「幸せ」の記憶です。



小さな「幸せ」を抱きしめる

もっと愛してほしかった、この氣持ちはずっとあります。

母はほとんど家にいなくて、のちに両親は離婚、小さい頃から「普通の家族」に憧れていた私は

どれだけ金銭的に恵まれていても「家族の愛」に触れることは少なかったです。

片手で数えられるほどの家族の記憶を、いまも抱きしめて生きています。



いま精一杯できることを

私の夫も壮絶な家庭の中で育ちました。

だからこそ、「普通の家族」への憧れをお互いに持っていて

ここから始まる(私たち)家族を

大事にしたいと考えています。



「普通の家族」を知らない私が

子供を産み、愛し方が分からず

産後うつになり

いま、やっと家族と向き合えるようになって初めて

「家族」というものを大事にしていけるようになりました。

それまで頭で分かっていても、どうしていいかわからなくて、結果家族を捨てようとばかりしていましたから。



家族と向き合うとき、

自分の両親や環境と向き合い

それは辛い思い出や小さな幸せを掘り起こすことかもしれません。

見ないようにしていた記憶と対面し、傷つくこともあります。



でも、いまできる精一杯で

生きて、愛していくこと

それしか私たちにはできないと思います。

与えられなかったもの、

得られなかったもの、

失ったものを数えてもしかたないので

いまある「小さな幸せ」を抱きしめて

愛していくしかないのです。



いまある最大のもの

「私」を抱きしめて。



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