今日は「ジャッジ」についてでしたねー!
とっっても重要なお話だと個人的に思うんです。
白黒つけたい派の人って、結構多くて
それが発展して経済は活性化されたりするんだけど(良い悪いを決めて競走することで企業は良いものを作ろうとする)
でも、発展しすぎると戦争とか起きちゃうし「なんだかな~」というのが人間世界です。
中身どろどろ(笑)
動画冒頭の「中身どろどろ」部分で頷いた人は多いんじゃないでしょうか(笑)
白黒はっきりつけてるはずなのに
サバサバしてるはずなのに
中身どろどろ(笑)
中身ドロドロどころか、
マグマみたいに手の付けられない異物が奥底に眠ってるのが、
「白黒さん」の正体です。(笑)
怖いですな~(笑)
ジャッジをやめると世界は広がる
これ、マジで広がります。
「良い悪い」「白黒」を超えて
それもいいじゃん♡って、
受け入れ態勢ができると
「ジャッジしない」し、「ジャッジされない」という
絶対安心感が生まれます。
白黒つけちゃう人は、
自分を裁きやすく、自分を瞬殺でジャッジしてしまう人なので
「それもいいじゃん♡」と自分を受け入れることを覚えると、
ほんっと楽になっていくんですよねー。
現代はジャッジだらけです。
でも、世界は白黒ではないグラデーション。
そのギャップがあるからこそ、「今の自分」に氣づきやすい。
ジャッジしてしまう自分に氣づいた時点から、進化は始まっていますよ。

ジャッジの先にあるものは愛
ジャッジをしやすい人は、
不安と怯えを持っているひとです。
それが悪いわけではありません、
そこにジャッジはないですからね。
どんな自分であってもいいんです。
ただ、違和感が出てきた時こそ
その違和感に氣づき、
「じゃあ、どんな自分なら心地いいか」を探求して
心地よい自分へと向かっていくことは、
間違いなく「愛」です。
その「愛」に氣づくためのジャッジだとしたら、
それは「良い悪い」ではないということが理解できます。
全ては繋がりの中でグラデーションのように存在しているだけです。

白黒つける自分から解放され、
「私は自由でいいんだ」と心柔らかにいきたいですね。
「瞬殺のトキ」(時代劇にありそうな殺し屋の名前)ではなく、
「グレーの小次郎」みたいに(笑)
ちょっと滑稽な自分でも
柔らかく笑っていられたら
「それもいいじゃん」と私は思います♡
そんな柔らかな私で在りたい、
それが「私」なら全てOKです。