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小さなキモチ

雨です…(洗濯物ユウウツ)

さて、そろそろリアルなご飯会みたいな?飲み会みたいな?ものもしたいなーと思ってます。

6月中~下旬かな、、福岡近郊の方はぜひ♡

昨日、息子の誕生会のときに

これまでの思い出の話になって

娘が突然「4歳までお母さんが嫌いだった」と言ったんです。



彼女が4歳頃というのは、私にとって暗黒の時代。

産後ウツで、子供を〇しかけるくらいのクソ母だったわけですし

その時の話は、娘ともよくするので別に私は驚かず

「あの頃病んでたからね、ごめんね」といつも通り話していたんですが

そういう話に慣れてない(そういう話の時にいつもいない)夫からすると

娘の「嫌いだった」というコトバに反応して、

「それは、お母さんが悲しむよ」と言ってくれた?のですが

私が「〇〇ちゃん(娘)がそう思ったんだから、その氣持ちは大切だよ」と娘にいいました。



子供と親、それぞれのキモチ

氣持ちに正しいも間違いもなく、

ただそれが在る、それだけのことです。

子供として悲しかったこと、

それは、紛れもない事実であります。



夫は、複雑な家庭環境で育ち

幸せな家庭を夢みた彼にとって

見たくもない現実を小さな頃から見せられてきました。

そんな家に居たくなくて思春期に家出した時、

「親が嫌いだった」と置き手紙を残したそうです。

その後、親戚から

「せっかく育ててくれたんだから、あの置き手紙の書き方は親が悲しむよ」と言われた経験から

娘に対しての「それはお母さんが悲しむよ」というコトバが出たそうです。



私的には、

その話を聞いてビックリしたんですよ。

何にびっくりしたのかって、

夫がそうやって「置き手紙」に自分のキモチを書いたことです。



いろいろありましたが、

夫は現在、実の親とはまあまあ良好な関係を保っています。

基本的に、寡黙で理系のひとなので

自分のキモチをおっぴろげて言うことが無かったので

私的に、彼の中にある彼の両親に対する思いというものがどんな感じなのか全く分かりませんでした。



親のせいであんなに大変な幼少期~思春期だったのに、

親に対して何も思わないのかな…?と私は感じていたので

彼が置き手紙をしていたことが

変な言い方ですが

「嬉しかった」のです。



絶対嫌でたまらなかったはずなのに

きっと彼は押し殺していたんだろうな…という私の憶測を覆すような

置き手紙告白に、

私は思わず「良かった」と言いました。

それを聞いた夫は、

親戚から言われた「親が悲しむ」という言葉と、

私の「良かった」発言に

少々とまどい氣味でしたね(笑)



小さな自分のキモチを大切にする

別に特別なオチがあるわけではない、夫との会話なんですが

でも、なんだか私はホッとしたというか

少しだけ彼の中にあるものに触れたことが良かったなと感じました。



どちらかというとコミュニケーションが得意でない彼の中に、

抱え込んでいたものがあるんじゃないかなと

彼の実家に行くたび感じていたので、

過去に少しでもキモチを出せる場所があって嬉しかったのです。



誰が悲しむから、とか

だから、押し殺せ、とか

そーゆーことがよくこの現実ではありますよね。

でも、キモチというものは

自分のものであって、

紛れもなくそこにある事実です。

そのキモチをずっと持ち続けて苦しいことがあるかもしれないし、

どこかで突発的に出てしまうこともあるだろうし

それによって親が悲しんだり、誰かがショックを受けたりするかもしれません。



でも、それは、それです。



全てをコントロールして、

誰も傷つかない世界というのは

この地球では難しく

逆にその経験をしていくことが

私たちであったりします。



正誤の中ではなく、

「ただ在る」私たちのキモチを

今どうやって受け入れていくのか

それは、大人になっても続きます。



だからこそ、

何を感じているのか?

どう生きるのか?が大切です。



泣いたり、笑ったり、許したり、抱きしめたりしながら

私を生きていくのです。



無理に、正しくなくていい。

私は私のキモチを大切に、

あなたはあなたのキモチを大切に。



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