昨日は「新たな小学校」のプレゼンの日でしたが…
昨日ブログでもご紹介した映画を観たあと、娘から
「この映画に出てくる小学校もステキだけど、私は今の学校がいい」
と言われました。
さらに…
「そもそも、お母さんがこの小学校に行きたいんでしょ?」と。(笑)
…はい、そうなんです。
娘に行ってほしいと思っていましたが、
本当は「私が」行きたかったんだと思います。(笑)
私の失われていた小学校時代を取り戻したい、そう考えていたのかもしれません。
娘のそのコトバを聞いて、
私自身も諦めがつき(笑)
さすが、うちの娘だな~と感心しました。
そして、さらに娘からは、
「私がこどもを産んだら、いろんな学校があるよと教えてあげるよ」
とも言われ…
さすが、です。(笑)
どの道を選んだとしても
私たちは、どの道を選んだとしても
魂の成長に不可欠な選択をしています。
だからこそ、どの選択も尊重されるべきものです。
【夢見る小学校】の中でも言われていましたが、
「私たちは、正解を早く選ぶ方がエラいという教育を受けてきた」
「生きる道に、正解などないことを知っているのに常に正解を探そうとするから、イライラしてしまう」
「こどもたちは、正解よりも出来たこと、出来なかったことの体験の方が価値があることを知っている」
【夢見る小学校】の中に出てくるこどもたちの真っ直ぐな目、
夢中な姿と涙、魂いっぱいに表現する生きる姿に胸を打たれっぱなしで
何度も何度も涙が流れました。
魂が震えるとは、こういうことだといわんばかりに泣く私の姿を見て
娘は笑っていましたけど(笑)
大人がこどものように生きる
そういうキラキラしたこども達を見守る先生やそばにいる「大人たち」は、
みんな「こどもから学んでばかり」だと言います。
そうやって、こどもも大人も、一緒に成長していくんですよね。
映画を観終わり、私自身も
「大人がどう生きるかを、こども達が見るんだな」と
これまで以上に感じました。
親として、とか、
妻として、大人として、とか
そういうカテゴライズの中ではなく
「私」としてどう生きるか、を真に体現していく。
自分が自分のまま生きていく…
その姿って、まるで「こども」のようなんです。
私もさらに、こどものように
私を生きていこうと決めました。
小学校を検討していた1年半…
とても、有意義で氣づきの多かった期間でした。
本当にこのチャンスをありがとうございました。