私は、スピブログによくある
「ふわふわ」「キラキラ」という部分ばかりを書くような人ではない。
ドロドロとした、誰も話したがらない部分こそ
私たちの苦悩であり、根底にあるものだと思うからだ。
「キラキラ」では解決できない、
そこにこそ人間の本質が垣間見える。
重い部分だからこそ、
その奥底にあるものに蓋をせず
どう抱きしめて生きていくか、が
私たち人間の課題であり
癒しであり「優しさ」だと感じている。
重大な事件が起こる度、
自分にとっての氣づきや考察が
大変貴重なものである。
だからこそ、記しておきたい。
この記事はそんな想いで書いたものだ。
~~noteより転載~~
19人の障がい者の命が奪われた
相模原市の『やまゆり園』事件の判決が出た。
死刑判決だった。
私はあの事件が起きてから3年たった去年7月27日に、この事件について記事を書いた。
(アメブロでは28日に公開)
誤解を生む言い方かもしれないが
私は今でも、自分の中に
「植松聖」がいると思っている。
それに対して、
恐ろしいと思うと同時に
否定していけないと強く思う。
なぜなら、
否定することで「無い」ものとすることが
去年の記事に書いた ”理解者” を
自らの手でなくすことになるからだ。
「植松聖」は私の中にもいる
あなたの中にもいるかもしれない
おぞましい事件である。
誰もが、こんな暗く
重い事件について語りたがらない。
だからこそ、
臭いものには蓋をするように
”そんな汚らわしいものは私の中に無い”
とした時、この事件そのものは
植松被告の死刑判決と共に
本質的に忘れ去られるだろう。
マイクロソフト社が開発したAIは
インターネットを学習すると
ナチスを礼讃し差別発言を繰り返した。
インターネット上にある世界中の
感情・行動・知性などを学習したとき”差別”を肯定する存在が生まれる。
植松被告は、
ただこのAIのように”世の中”を学習し
「重度障がい者のような生産性のないものはいらない」と判断したまでかもしれない。
それは、特異なものでもなく
けして異常者というわけではなく
生産性という明確な基準において
合理的な”善意”に基づいている。
私たちが創り上げたかもしれない「植松聖」
そして、
私たちが殺すかもしれない「植松聖」
恐ろしい。
そして、何度も言うけれど
私の中にも植松聖はいるのだ。
悪魔ではなく、
善意として。
今回、この記事を書くにあたり
私がどうしてもお話を聞きたいとお願いをした人がいた。
小森圭太氏の量子論講座の同期で
友人である藤澤昌美さんだ。
重度知的障がい者であるお子さんを持ち、
ご自身も障がい者支援をされている方だ。
大変無礼であることを承知で、
『やまゆり園事件』の被害者の親と同じ立場である昌美さんにこの事件についてどう感じているかを聞いてみたかった。
こんな失礼な私の要望に、
昌美さんは「ともちゃんが聞きたいなら」と答えてくれた。
そして、
そのお返事は私が思ったよりもずっと重く荒削りで戸惑いを含んだものだった。
お返事を読みながら、私は泣いてしまった。
この貴重な言葉一つ一つを私が記していくことが、責任であると感じた。
そして、センシティブな内容であるに関わらずお名前の公表など快く受けてくださった昌美さんに心からの感謝をしている。
【やまゆり園事件に対して思う事と
障害者差別について】
自分のう○ちで遊ぶ「便コネ」って、知ってる?
自分の顔が変形するくらい叩いたり、
逆に他人をいきなり殴ったり、噛み付いたり。
壁はぶち破る。
テレビは投げて破壊する。
人の家に勝手に入り込んで冷蔵庫にあるもの食べたり。ね、平気で人前で全裸になる。
あまりに手をやく障害者には、
キツい薬でグッたりさせる。
これが重
度知的障害者の問題行動と
現実のほんの1例だよ、
みんな知らないよね。
(重度知的障害みんながそうじゃないけれど)
うちの息子は最重度知的障害を伴う自閉症だ。
全く喋れないの、
だから私はそれ利用して怒鳴り散らせた。
手もあげてきた。蹴り飛ばした。
でも、喋れないからね、
世間にはそれがバレる事はないのよ。
外に出たらそれはそれは優しいお母さんの仮面を被って障害者の為のボランティア活動だのやった。
「この子さえ居なかったら…」って
何度思ったか分からない。
私のせいでこの子は障害者として生まれてしまったのかも、と自分を責める日もあった。
居なくなればいいのにと
思った日もたくさんある。
本当にこの子が死んだ時に
1%でもホッとする自分がいたら…って怖い。
だけど
「体調が悪そうです」と施設から電話が来ると、心配と不安で急いで迎えに行く自分に安堵する。
やまゆり園事件で尊い命を奪われた親の気持ちは、想像を遥かに超える悲しみと苦しみを想像するだけで胸が張り裂けそうになる。
何が言いたいか?なんて、
いいたいことは山のようにある、がまとまらない。
まとまらないまま話はすすめるね。
障害者施設は生半可な気持ちでは出来ない。
実際私の次男は
「お兄ちゃんが障害者だから僕なら理解出来て支援出来るから」
と純粋な心で学校も行って学んだ。
卒業後障害者入所施設で働いた。
(やまゆり園のような施設)
だけど現実は甘くなかった。
4交代でひと月に8日以上夜勤が有る日もあった。
「8日も」はぬるいかもしれない。
だけど次男は2年半で退職した。
せっかく綺麗に身体を洗って綺麗な服を着せた途端に排便!イラッとする自分の殺意に似た自分の感情が怖かったと話をしてくれた。
「これ以上働いたら自分が壊れる」そう言った。
8時間労働残業無しの職場だと言っていたが、そこから1人1人の記録日誌を書いていく、
うるさい親(モンペ)からは10分おきの様子を細かく書けとクレームが来る。
それを利用者全員分書いていたら2~3時間余裕でかかる。
それは残業代にはカウントされない。
給料は驚くほど安い。
過酷な仕事。
でもそれを何年何十年とやっている人もいる。
酷い仕事だと言い切るのはその人達に失礼だ。
実際、私の長男もケアホーム(やまゆり園のような施設)に入っている。
まだ私が元気だから週末は迎えに行って土日は家で過ごしていて、ここでも親の罪悪感はうまれる。
他人に我が子を預ける事は同じ障害者の親に「よくそんな可哀想な事できるよね」と、
だからその罪悪感を埋める為の矛先は施設職員へと向け、細かな指示を言う、10分置きに様子を書け!と言ってるモンペと変わりはしない。
そうすることで罪悪感は消せる。
障害者支援、障害者の親、
入所施設の利用と職場環境どの立場も分かる。
相手の立ち位置の想像力の欠落こそ、
この事件の発端かと私は感じる。
私の親は植松死刑囚の
「障害者は生産性がない」の言葉に「一理あるかも」と私の前で悪びれる事なく言った。
私は黙って頷いた。
何にも言い返さなかったの、こういう私が障害者差別を語る事など出来るわけない。
だからこの事件に向き合う事を避けていた。
やまゆり園事件によって
障害者の親達や障害者団体は大きく揺れた。
子供達も「私達は生きてちゃいけないの?」と傷ついた。
殺されたのは重度知的障害者、
傷ついたと言葉で表現など出来ない人達。
だったら、親が語らないと!重度知的障害があろうが心はあって、傷ついたり、喜んだり、辛かったり、悲しかったり…あるのだと。
そこもニュースでは語らない。
親の葛藤、支援者の葛藤、障害者が生まれて、障害児だと分かって、悲しむのは何故か…それはやっぱり表面的な部分しか見ていなかったり、こうした事件も「可哀想な障害者」が可哀想な殺され方をした、とした情報発信しかしないからだ。
これって、喋れない息子を罵倒しながら、外に出たらいいお母さんする私と同じなんだよね。
植松死刑囚も私の中に居るんよ。
意識はこの目の前の空間にある。
だからね、私はともちゃんと今でもこうやって繋がっていて 『やまゆり園事件』を考えてみろ!と投げかけられて(あ、こんなに言い方してない笑笑笑)、
やっと自分の目の前に置いた。
じゃなきゃ見て見ぬふりしてたよ、絶対。
どんなに障害者であったって自分の人生を楽しむ権利がある。
それをやっぱり親が申し訳ない、とか、迷惑かけてすいませんじゃなくて、言わなきゃ!
生産性がなくったって生きる権利はあるってね。私はこれからこの文章全てを言っていくよ!ありがとう!
【死刑判決について】
死刑制度は反対。
植松聖は死ねばいいと思ってる。
だけど彼の生きてきた中で何がそうさせたのかははっきり知りたい。
これはちょっと重い議題だから、この一言にさせていただきます。
昌美さんからのお返事は以上だった。
「植松死刑囚も私の中に居るんよ。」
この言葉がどれほど重いかは私には計り知れない。
現代は面白いもので溢れ、人々の興味は常に自分を楽しませることに向いている。
自分の中の闇には蓋をしがちで、その根底にあるものには目を向けない。
ひとたび、その闇が目の前に現れた時には
裁判官のように死刑判決を出し
この世から消し去ってしまう。
そして、また何も無かったかのように闇は見捨てられる。
このまま私たちは
また闇を見ないようにしているのではないか?
植松死刑囚は死刑に処されるだろう。
でも、それだけでいいのだろうか?
この記事を書こうと思ったのは、
自分の中にも植松聖がいると思ったからだ。
”なぜ、そうなったのか”
”その闇とどう向き合うか”
解明と対峙
それこそが、
私と昌美さんと植松死刑囚とあなたと社会すべての課題ではないだろうか。
答えはない、考え続ける
それが人間だ。
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