オープンソウルアドバイザーのTomoです♡
福岡は今朝から猛烈な豪雨となり
娘の小学校も臨時休校となりました。
私の仕事は昨日、今日とお休み。
ですが、
この雨の中息子を保育園に連れて行きました。
(もちろん安全を配慮して)
私も娘も休みなんだから、
息子も休ませたら?という顔で
保育士さんからは見られましたが
【私の休み】を私は優先させます。
息子はもちろんのこと、
娘は生後2ヶ月半から家庭保育士さんで
保育してもらいました。
仕事が忙しかった私は、
私自身もボロボロになりながら
幼い娘を保育園に預けることを
「可哀想」と捉えていました。
お母さんと一緒にいれない
無理やり引き離される
そんなことばかり、
娘に申し訳ないとずっと思っていました。
でも、今その当時の話をしても
娘は当然覚えていません。
娘は ”今” を生きていて、
”今” 楽しいか、どうかにフォーカスして生きています。
私だけが、ずっと ”あの時” を引っ張り出し
勝手な加害意識と被害妄想を押し付け
「可哀想な娘」像を作り上げ
後悔を体験しているだけでした。
今は、
娘に対して「保育園ばかりで可哀想だった」ではなく
「一緒に頑張ったね」という氣持ちです。
こちら側がそう感じながら話すと
娘自身が全く自分を「可哀想だ」と思ってないんだな、と分かります。
つまり、私だけが娘を「可哀想な子」とレッテル貼りをしてわざわざ自分責めの材料に使っていただけです。
そして、娘は ”今” を生きています。
私も”今” を生きています。
勝手に被害妄想を押し付けるのではなく
最大限にお互いの ”今” を尊重し合いながら
魂同士としてどうやって楽しく過ごすか?を考えています。
【私の休み】は、私の最優先の ”今” です。
可愛い息子も私の休みに協力して保育園に行ってくれます。
なんと感謝でしょう。
雨の中、開けてくれる保育園にも感謝です。
こんなに感謝に溢れるのに、
可哀想と思っていた私が本当に「可哀想」でなりません。
でも、みんなその一瞬を一生懸命生きているのだから当時の私もそれが精一杯だったのだと思います。
何はともあれ、
”今” を大切に過ごすこと
娘や息子がいつも『鏡』となって教えてくれます。
ありがとう。
服を交換し合って遊ぶ子供たち。
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