突然ですが、宇宙視点や5次元視点を
「赤ちゃん視点」と名付けましょう。
赤ちゃんは、初めてみた自分の手をちゅぱちゅぱして
「これは何か」を認識します。
おっぱいかな?
それとも、自分をケアしてしてくれる何か・・・?(親など)
もちろん、赤ちゃんにはその固有名詞の認識はなくても
自分が知りうる世界の中で、当てはまるものを見つけていきます。
その模索活動は、常に「おお!」という驚きを秘めていて
その「おお!」には良い悪いのジャッジはありません。
ただ、そういうものが在るんだという
どちらかというと「面白い」や「興味深い」、「なんだこれ」的な要素の方が多いです。
それこそが、「知」への原動力となっているのです。
そして、
これは年齢を重ね「知っている」と思うモノが増えれば増えるほど
さらに、それらに対する良い悪いの常識的ジャッジが加わることで
「面白い」という感覚が閉ざされていきます。
これが、大人です。(笑)
大人になることが悪いことではありません。
大人でありながら「赤ちゃん視点」を持ち合わせることで
常に「面白い」という視点で世の中をみれたら
きっと「知っている」世界も、各段に違って見えるはずです。
特にその効果が発揮されるのは、外側の世界ではなく
「自分」に対して圧倒的です。
「自分」というものを「知っている」と思い込んでいる大人は
自分をジャッジし、常識に当てはめることが得意です。
間違ったことや失敗を恥ずかしがったり、
自分を卑下したり、さらには誰かの理想に成ろうとして自分を見失う・・・
「赤ちゃん視点」でいけば、大人になれば行動範囲が広がり
「おお!」とか「面白い」体験が盛りだくさん!なはずなんですよね。
オムライスを食べて口の周りがケチャップだらけになっても、
汚い自分を卑下せずに
鏡をみて「こんな自分もいるんだ」と知れた喜びにキャッキャっと笑えちゃう。
その笑いは、失笑、嘲笑、自虐的ではなく
へんてこさや、可笑しさ、面白いという状態そのものを愛でる笑いへと昇華される。
大人でありながら、その「赤ちゃん」視点があることで
存在をそのまま愛でることを体現できる。
ここまで、「赤ちゃん」視点を語ってきましたが
結局は何がいいたいのか?は
口の周りをケチャップだらけにして鏡をみたとき、
自分が感じるものの中にあると思います。
そのままを愛でることは、難しく、でも価値あるものであると
なんだか真剣に思えるのです。
そのケチャップ姿が愛おしいと思えたら、きっと私たちは
もう5次元にいるんじゃないでしょうか?
あなたも私も、
あるがままでいいのだと。
その時、私たちは
この世界さえ丸っと愛せるのです。
★5次元をいったりきたり、御一緒に
(ただし下ネタ注意ww)⬇⬇