ゲリラライブ配信ご視聴いただいた皆様、お疲れ様でした!
笑いと真面目のミックスが私のライブ配信なので、笑って楽しんでいただけたら本望です^^
さて、ライブ配信でもちょこっとお話していますが
世に出回っているスピリチュアルを私は「エンタメ」だと思っています。
エンタメだからどう見てもいいし、どう批評してもいいと思うんです。
(それはTOMO&KOHAKUについても同じ)
でも、時々その「エンタメ」を【自分の真実】だと思い込んでしまって
すべての道しるべをその「エンタメ」に頼ってしまう人がいます。
【自分の真実】は今のわたし
私は真のスピリチュアルとは「存在」であり「生きる神秘」であり
「在り方」だと思っています。
真にスピリチュアルであるということは
「わたし」という存在そのままで生きることです。
つまり、「今のわたし」です。
今のわたしを感じて生きることが、真にスピリチュアルに生きることです。
それ以外はすべてエンタメであり、自分に氣づくためのダミーです。
「風の谷のナウシカ」という大好きな映画の中でこんなシーンがあります。
ナウシカに助けてもらった敵国の皇女クシャナが、腐海の森の中でナウシカ達に銃を向けるシーンです。

銃を使えば、腐海の蟲たちは怒り狂い、蟲たちの暴走は止められなくなってしまいます。
それでもクシャナは銃をナウシカの足元へ向けて発砲します。
その時、ナウシカはクシャナにこう言い放ちます。
「あなたは何をおびえているの。まるで迷子のキツネリスのよう。
怖がらないで、私はただあなたに自分の国へ帰ってもらいたいだけ」
その後、銃声を聞きつけた巨大な王蟲(蟲たちの長のような存在)が現れ

ナウシカのことを調べるために触手で包み込みます。

その様子を怯えた表情で見つめるクシャナは、何もできずにいます。

この時、クシャナにとっての真実は【銃】であり、
この場を【支配】することでを思い通りに現実化させようとします。
ですが、
相手の精神世界までも見通す力を持つ王蟲の前では、その【銃】や【支配】は何の役にも立たず
ナウシカにとって銃を向けているクシャナはただの「おびえた迷子の小動物」に過ぎないという場面です。
そして、王蟲の触手によって調べられたナウシカは「己の存在」を今一度確認させられるようなヴィジョンを垣間見ます。
「存在」を見通す王蟲と「銃」を向けるクシャナ
人は怯えると何かしら武器を携え、支配し自らを導こうとします。
それは、エンタメとしてのスピリチュアルも同じで
それらを【自分の真実】だと勘違いし
道しるべをエンタメのスピリチュアルに委ねてしまいます。(それが例え危険な状況であろうとも、クシャナが銃で自らの状況を支配しようとしたように・・・)
ナウシカは知っています。
銃や支配は「おびえ」や「不安」からのものであること。
そして「存在」を見通す王蟲の前では何の役にも立たないことを。
そして、皮肉にも王蟲の触手によってナウシカ自身も「存在」を追究することになるのですが(話は長くなるので、これはまた今度)笑
何が言いたいかというと、自分にとっての真実は「今の自分」でしかなく
ダミーである銃も支配も「怯え」と「不安」が土台であり
エンタメ化されたスピリチュアルを本当の導きとするより
その奥底にある今の自分(存在)を知ることにより
武器を使うことなく【真実】にたどり着けるということです。
(わかりにくいかな)笑
本当は、ナウシカのセリフはこういう意味だったんですね。
銃や武器を振りかざすのは、迷子の小動物そのものであり
「おびえ」の象徴である。
あなたはあなた自身へ戻ってほしい。
あなたがあなたへ戻ること
それが【真実】です。
そのために「今の自分」を知りましょう。
書いて、書いて・・・・ね♡


