人間って、お金を持ちすぎても
ロクなことしない。(笑)
てか、たぶん暇なんだと思う。(笑)⬇⬇
【世界の大金持ちドバイ・アラブの日常】
こちらも参照記事 https://ailovei.com/?p=72776
結局、私たちは限りある時間をどうヒマ潰ししていくのか?ということなのかもしれない。
ヒマだから、他人と比べたり
ヒマだから、世間に染まったり
ヒマだから、ストレスをかけて
遊んでいるのかもしれない。(笑)
私たちはヒマに慣れてない
ヒマであってはいけないし、
その間に何かして
成功した方がいいし、
達成した方がいい。
そんな思い込みが、限りある時間を忙殺させている。
ヒマもないほどに。
最高に贅沢な遊び「なにもしない」
本当は、「なにもない時間」
「なにもしない時間」こそ
私たちの人生の醍醐味であって
このヒマに何かするのではなく
「なにもしない」を選択することが
最高の贅沢なのだろう。
「なにもしない」のになぜか生きている神秘
人はこの神秘を知らない。
今まさにこの神秘を味わっているにも関わらず。
もし、神からの何か崇高な使命があり
そこに生産性と成果主義の構造があり
能力によってそれぞれの寿命が定まっているのなら
生産性・成果の出ない者たちは立ち所に消えてしまう。
おそらく、私もあっという間に
消えてしまうだろう(笑)
けれども、どんな悪いやつだろうと
どんなに貢献している人であろうと
長く生きたり、早く死んだりする。
なにもしなくても、体は生きようとするし
何かしても、体は私たちを守ろうとする。
そして、時がくれば死ぬ。
結果「何をしても、しなくても」
そのヒマの中で神秘的に生きてることに変わりない。
そして、神秘的に必ず誰もが死んでいく。
大金持ちなら、ランボルギーニに乗ればいい。雲の上でテニスもよかろう、ライオンをペットにしても何だか楽しいのかもしれない。
じゃあ、大富豪ほどお金を持ってない私たちは何をしてヒマを潰す?
私たちがランボルギーニやギンギラギンにさりげないゴールドを持っていないにしても、同じだけの神秘がある。
もし、人間にとって最高の贅沢が
「神秘を味わう」ことと
「なにもしない」事なら
私はランボルギーニよりそちらを選ぶ。
今を味わい、なにもせず、必ず死ぬ。
それが最高なのだから。