映画「ひゃくえむ。」を観てきました~(世界陸上の熱冷めやらぬ)
地動説を描いた「チ。」が大好きで、今回も魚豊(作者)節が炸裂していてよかった。
スポ根ドラマはあまり好きではなく、「どう生きるか」系なのが大好物。
「100mを走る哲学」満載で、セリフひとつひとつに聞き入りました。
100m、たった10秒に人生を懸け、人生を狂わされ、人生に本氣になる者たち。
鬼滅の刃みたいに映像がスゴイ!アニメ映画ではないけど、
「100mを走る」あの孤独な音と景色、好きだな。
みんな生きて、みんな死ぬ。ただ本氣になるかどうか。
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恐怖は不快ではない
「ひゃくえむ。」の中のセリフ。陸上界トップ選手のスピーチ。
アスリートが抱える「けがや負ける不安」(に対してのメンタルヘルス)について質問をされて答えるシーン。
恐怖は不快ではない
安全は愉快ではない
不安とは君自身が君を試す時の感情だ
栄光を前に対価を差し出さなきゃならない時
ちっぽけな細胞の寄せ集め1人
人生なんてくれてやれ
目を逸らすな 君がやりたいことは何だ?
これを聞いたとき、「覚悟」やな~と思いましたね。
当然のことながら、けがをしてしまったり、
勝ったり負けたりとメンタルがボロボロになるなかで
100mを最速で走りきるために、体全身で感じる恐怖を味わい、
不安という感情を見抜き、
目をそらさず、人生を捧げる覚悟。
たかが、細胞の寄せ集め。「人生なんてくれてやれ」には痺れます。
本氣で生きるとき
アスリートではないにしろ、わたしも大きな不安と恐怖に対峙したことが何度もあります。
自分を信じるべきときに、信じられない。
怖くてたまらない。
この不安はどこからくるんだろう。
そう思っていました。
分かったことは、不安や恐怖は自分の中から起こっているということ。
自分が自分を試していること。
「愛されないかもしれない」
「認められないかもしれない」
「わたしには価値がないかもしれない」
そういった私自身の恐れが常に私を試している。
本氣で生きるとき、
この恐怖と向き合い、見ないように安全地帯にいた自分から抜け出し、
「私が私として生きるために」人生を捧げる覚悟で
一歩踏みだす必要がありました。
俺が俺を認める
こちらも「ひゃくえむ。」名セリフのひとつ。
若き天才選手が現れる陸上界。
万年2位と言われ続け、年老いてきたベテラン選手が言い放つ【自分を信じる言葉】
とうの俺は 次こそ俺が勝つと信じ切れてる
なぜかわかるか
現実は逃避できるからだ
現実ごときが俺の意志には追い付けない・・・
たとえどんな正論 洞察 真理 啓蒙をふりかざそうと
俺は俺を認める
これ、一見意味が分かりずらいですが。
つまり、現実とは「ただの現実」であって
若き天才が現れようとも、
1秒ごとに老いていこうとも、
「自分の意識は、次に勝つことが分かっている(信じきっている)から、俺が信じればそう成る」
「現実より、自分を信じる」ということ。
この感覚、分かるな~
今、目の前は何も変わっていないし、相変わらずなんだけど、
それでも「私はだいじょうぶだ」と信じきれるか?
そう信じる自分に自信があるか?
毎分、毎秒、「本当に信じてる?」と突き付けられる現実。
それでも、信じきるチカラ。

ああ、痺れます。
名セリフだらけの「ひゃくえむ。」
一生懸命生きている人にこそ、刺さりまくりますよ♡
今日も伴走しています♡
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