オープンソウルアドバイザーのTomoです♡
私は、いわゆる「インスタ映えするカフェ」もやってるんですが
今日、2歳にも満たないお子さんと、
オシャレなママが来店されました。
アイスクリームを注文されて、
待つ間はお子さんをモデルに写真を撮影。
ママはお子さんを笑わせるために
いろんな顔をして笑顔になったら連写。
その後
アイスクリームが来たら、アイスクリームを
あらゆる角度から撮影。
※画像は当店以外の「インスタ映え」するアイスクリームです
先程と打って変わって
お子さんはその間
ほったらかし。
(あの面白かったママはどこへ…)
アイスクリーム撮影がおわり
ようやくお子さんが
アイスクリームを食べる頃になると
アイスクリーム溶けてました。笑
で、お子さんは溶けたアイスクリームを上手に食べれないので
最後は、
結局ママが食べてました。笑
さて最近、
「承認欲求のSNS」こと「Instagram」が
いいねの数を非公開にすることを検討しているというニュースがありました。
(投稿者にのみ数は分かる)
噛み砕いて説明すると
インフルエンサーの大したことない投稿に何百万もの「いいね」がつくことで
それがあたかも「価値」があるようにみえる集団心理を抑制するため。
本当に価値のある投稿を増やすため、だということです。
こういったInstagramの方針は、
何を意味しているんでしょう?
「承認欲求のSNS」の加速で
これまで自分にとって
価値があったもの
価値が無かったものの
概念が変わり
いいね、を貰うことが
自分の価値になり
「今」の価値を見ずに(子供やアイスクリーム)
データの中での承認欲求を満たそうと必死になる人がいます。
つまり、
他人がジャッジすることで生まれる価値(いいねの数)の中で
生きている人が多くなりました。
(自分で価値を作り出している氣がしているだけで、結局は誰かの承認のために動いている)
先程のアイスクリーム事件wで考えてみましょう。
【行動】
〇カフェにてアイスクリームを頼む
〇子供の写真を撮る
〇アイスクリームの写真を撮る
〇写真をSNSにアップ
〇子供はひとりでママの作業が終わるのを待つ
〇アイスクリームが溶ける
〇溶けたアイスクリームを子供はうまく食べれない
〇最後はママが溶けたアイスクリームを食べる
【価値】
〇子供との時間を楽しむ幸せ
〇おいしいアイスクリームを食べて満足
〇SNSにアップすることでいいねをもらう承認欲求の充足感
この【価値】の中で
「あなたにとって価値あるものは?」と聞かれたら、
ほとんどの人が『子供との時間を楽しむ』ことだと言うと思います。
では、【価値】あるものに対して
【行動】できているでしょうか?
価値ある『子供との時間を楽しむ』ことは、
【行動】の中で2割くらいしかありません。
残りの【行動】の6割は、
ほとんどの人が「そんなに価値はないだろう」と思っている『SNSにアップすることでいいねをもらう承認欲求の充足感』に使われています。
さらにそれをすることで
おいしいアイスクリームまで
溶けてしまうという
まさに悲劇。笑
このアイスクリーム事件は、