このブログがはじめての方はこちらから★

★誰も間違ってないよ

メリーXmasイブ💛

みなさん、素敵なイブをお過ごしでしょうか?

おいしいものを食べてくださいね~💛




誰も間違ってないよ

とある海外ドラマで難しい事件を扱う検事と弁護士、

有罪か無罪か、を問う裁判。

どちらも自分たちの真実性を証明しようと必死になります。

結果、弁護士の巧みな弁論により

被告人は無罪になり真実は証明されたかのように見えましたが

実は、

事件のきっかけは被告人がつくったものでした。




有罪を願っていた検事と無罪を信じていた弁護士は、

のちにその真実を知り落胆するのですが

共に戦った弁護士に対して、

検事は「誰も間違ってないよ」と声をかけます。




ジャッジの限界

白か黒か、でのジャッジには限界があります。

この宇宙はグラデーションですから。

そして、そのグラデーションを赦しているのが宇宙です。

上記のドラマでは、被告人は「罪」を犯しました。

ですが、そのジャッジは裁判で無罪として証明されます。




被告人は無罪になりますが、「罪」の意識は持ったままでしょうか?

それとも、そのまま無罪放免で喜び勇んでいるでしょうか?




私は、その意識こそがグレーの部分(グラデーション)であると感じています。

グレーの部分を他者がすべて理解すること、

コントロールすること(ジャッジ)はナンセンスです。




例え、罪(とルール上決められたこと)を犯しても

証明できなければ罪ではない世界において

無罪と決定されれば

その結果に他者が出来ることは、「受け入れること」。




つまり、「誰も間違ってないよ」の言葉に集約される。




それは、ある意味での諦め(明らめる)であり

他を本当の意味でコントロール(ジャッジ)することは出来ないという

己への赦しなのかもしれません。




それまでの執着を手放すこと、

【相手をゆるせない自分】を赦していくこと…




何でも「ジャッジ」において判断しようとする人間同士では、

とても難しい宇宙レッスンを私たちは体験しています。




ゆるすことは己の解放

事件などにおいて犯人が収監されたとしても、

全く罪の意識がないのであれば

ただの快適な刑務所ライフかも知れません。

相手の意識(グレー・グラデーション部分)をコントロールできないのであれば

それでも「相手への憎悪を持ち続けるかどうか?」は

私たち自身の選択になります。




「事件」で例えてしまうと、ちょっと極端ですが

日常での相手へのジャッジは、自分自身を苦しめる鎖になることもあります。

白黒ジャッジは、簡単なように見えて

そもそもグラデーションであるグレーの部分を排除し

偏りを植え付けてしまいます。




白も、黒もない。

正しい、間違いもない。

それが宇宙なら、

無理にゆるす必要もなく

無理にゆるさない必要もない。




「ゆるせない自分をゆるす」

「誰も間違ってないよ」




あたたかな愛でつつまれますように。




今日も伴走しています💛




魂の時代には、「秘密部屋」がかなり役立ちますよ♪

【秘密のお部屋】ができました

タイトルとURLをコピーしました