どれだけ美味しいものを食べても
どれだけ素敵な服を着ても
どれだけエステにお金をかけても
どれだけ素敵な彼がいても
どれだけお金を持っていても
魂の声を聴いて生きていなければ
苦しくてたまらないはずです
日常は待ってくれませんので
押し寄せる波のように
常に不安や恐れがやってきます。
全てのベースに自分の魂がいます。
目の前の現象は全て自分が作り出していて
それを理解できなければ
ずっと同じように不安と恐れが繰り返します。
ずっと他の誰かになりたいと願っていた私は自分の魂を無視してずっと生きてきました。
そして、魂はずっとサインを出し続けてくれていました。
なぜこんなにも苦しいのだろう
なぜいつも真実を求めるのだろう
魂のサインを聴かなかったので
ずっと不安の中にいました。
不安の中に閉じ込められていたのではなく、
不安の中に自ら座って頑として動かない体勢をとっていたのです。
なぜなら、
檻から出るのが怖いから。
その檻の中のほうが安心できるから。
檻の中には何もないわけではなくて、
自分がこれまで見つけてきた
大切にしてきたたくさんの装飾品がある。
でもね、
魂は知ってる。
勇気を出して檻の外に出てみれば
もっと素敵なものがあることを。
見てみたいけど怖い
怖いけど見てみたい
その「見てみたい」が「怖い」を上回った時に
初めて自ら檻の外に出ることができる。
誰かがやってきて
檻の鍵を開けて
扉を開いてくれるのではない
自らの足で立ち
自らの足で進み
最初から鍵のかかっていない檻の扉を開けて
一歩踏み出す。
それから先は
知らない世界を初めて見て
ワクワクして
一歩一歩と知らない間に足を進める。
なぜあの檻の中にいたのか
なぜあの檻の中が心地よかったのか
なぜあの檻の中に居続けたのか
思い出せなくなる。
でも確実に言えることは
その檻の中に
自分が自ら好きで座っていたということ。
(だって、誰かにそこに居なさい!と言われたわけじゃない)
そして、自ら出ることができるということ。
このブログの最初の方を見てもらったら分かるように
思い悩み
時には爆発して、
ずっと檻から出ることを願っていた私がいます。
いろんなことに氣付き
いろんな人に出会って
やっぱりここから出たい!
外の世界を見てみたい!
怖さよりも
外を見てみたいという欲求の方が強くなった時
初めて檻の外へ出ることができました
私自身は弱いままです。
剣や盾を持っているわけではありません。
ただただ、新しい世界があると信じただけです。
そして、
弱いままの自分を認めて
「新しい世界のほうが今の私にふさわしい」と思っただけです。
もう檻の中には戻りません。
あの懐かしい装飾品も
大好きだったベッドも
もう私には必要ありません。
だってもっともっと素敵なものがあったから
それは私自身です。
弱くてもゲスでも
怪しくても完璧じゃなくても。
それでいいんです。
それがいいんです。
もし、あなたが今の世界が嫌なら
あなたにふさわしい世界は檻の外にあるということです。
何も持たず一緒に飛び出してみませんか?
ワクワクする世界へ。
まずは、
弱い自分を認めてから♡
優しくてワクワクして新しい世界
へ
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