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理想と現実の揺らぎの中で

小さな虫歯の治療のために

息子を歯医者に連れていったのだけど

頑なに口を開けようとしない。

前回の治療は大丈夫だったのに。

おそらく、先日のPCR検査が鼻にめん棒ぶっ刺すタイプのものだったので

その時のトラウマが蘇ったのか

マスクをつけた病院の先生ぽい人への拒否反応が酷く出た。

30分粘ったけど、私の服にうがい用の水をぶちまけた時点で私の心は折れてしまった。

「これ以上やっても無駄」

また来ます、と歯医者に別れを告げ

モヤモヤイライラを押し込めたまま車に乗ったけど

帰り道で息子を責め立ててしまった。

家に着いて、私も心を落ち着けなければと息子を夫に預け

部屋に引きこもった。

理想通りにさせたい私ととにかくこの場から逃げたい息子。

家につけばケロッとSwitchをしだした息子に、収まりがつかない私。

コントロールしようとすればするほど、逃れたいというチカラは強くなる。

すっかり氣分を変えた息子が、私の部屋をチラ見しながら横切っていく。

どうにか、空を見たり編集したりして氣を紛らわせていたら

ふらっとやってきた5歳の息子に「今日はおつかれさまでした」と声をかけられた。

「おつかれさま」

拍子抜けしたような顔で、

お互い何ともいえない空氣が流れた。

”これ以上やっても無駄”

これ以上モヤモヤしたところで何の意味もないし

責め立てたところで得るものもない。

今は氣分を変えて、

次の氣を作ることの方がだいじ。

そんなことを一瞬考えていたら、

息子は「ほんとは水がでる機械がヤダ」と言ってきた。

前回やった治療の際につかう水がでる機械が苦手だったそう。

なんで早く言ってよ~って感じだけれど、彼の精一杯が伝わって

「つぎは先生に言ってみようね」と話すことができた。

私たちだって、このタイミングだから勇氣をだして「やっと言えた」的なことは多い。

ただ、そのタイミングが他人からすると遅かったり、親からするともどかしかったりするだけで

本人は精一杯の中で表現をしている。

年齢だけでなく、

理想と現実の中で常に揺らぎながら

私たちは生きている。

小さな心の中で、必死にこの状況を飲み込もうとするのはみんな同じだ。

次回は2ヶ月後くらい、と歯科医とも話してきた。

どんな状況になるか分からないけど、またその時考えるか。

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