ちょっと前置きしておくと、
日本人には敏感な人(HSP)が多い。
他人に氣を使いすぎたり
他人の機嫌に振り回されたり
音に敏感だったり
人混みですぐに疲れたり
それは、古来から日本人に受け継がれた
”不安遺伝子” によるものでもあるからかもしれない。
はたまた、他人を思いやったり
自己犠牲を美徳とする ”教え” が
裏目に出ているせいかもしれない。
どちらにしても、
海外に比べて敏感な人が多いのには変わりない。
私はHSPテストなるもので、
80%を叩き出した
「高Highly Sensitive Person」である。
訳せば、「高高敏感な人」。笑
なんか、すぐコワレソウよねw
それで、とても生きづらい思いを沢山してきた。
常に笑顔でいなければいけないと
自分に強要してきたので
頬の部分にあたる筋肉は盛り上がって成長してしまったしw
他人の機嫌に振り回されまくって、
1日ぐったりする日々を送ってきた。
まさに、生きづらさMAX。
そんなこんなで、疲れきった私は
「自分を生きる」と決めてやったことがある。
その中のひとつに、
【愛想笑いをやめること】
というのがあって
とても興味深い結果となったので
シェアしたい。
私は、小さな頃から
大人と仕事をしてきたせいで
愛想笑いの達人となった。
笑顔でいることで他人の機嫌をとる。
逆に笑顔のない人は冷たく怖い。
何を考えてるか分からない。
だから、ずっと笑顔。
氣持ち悪いほど笑顔。
だけれど、これがまぁ疲れる笑
1日他人と接したりなんかすれば、
もう顔がピクピクする。
笑顔の裏には
「見られているかもしれない」という過剰な自意識もある。
本当の自分を見せることができない。
そのストレスも溜まって
子供たちや夫に当たり散らす。
そもそも愛想笑いとは、
「冷たい人と思われるんじゃないか」
「嫌われたくない」の裏返しなんだ。
そして、愛想が良すぎる人は
自意識過剰氣味の場合が多い。

愛想笑いをしすぎる人は、
「世界中の人に嫌われたくない人」
そんなの不可能なのに。笑
それで、愛想笑いをやめてみた。
仕事とか愛想笑いが必要なところは、
今までの2割引くらいの笑顔で。笑
それ以外は、「世界中」に発信していた愛想笑いをやめた。
最初は”嫌われたくない”が、
先行してなかなかスッパリやめることができない。
そりゃ、30年以上これでやってますから~笑
それから、「意識」してみた。
今は、そんなに笑わなくてもいいんじゃない?
嫌われてもいいんじゃない?
そう意識しながら
ひとつずつ恐怖をのりこえて
愛想笑いを減らしていった。
去年、
渋谷のホテル最上階でキラキラしたお茶会を
ブログの読者さまと開催した際は
私はあまり笑っていなかった。
けれど、皆さんから「ほっこりした会だった」とか「自然体だった」と感想をいただいたので、
私が思うほど世界は私を嫌おうとしていなかったんだと思った。
いや、私は笑いすぎていたんだ。
自分の
キャパ以上に嫌われることへの恐怖感から
「笑わないと殺される」と、
に勝手に世界をホラー化させてしまっていた。
案外、世界って優しい。
そう思えたら、
肩の力が抜けた。
私が ”頑張って” 愛想笑いをしなくても、
自然に自分の感情から出る笑顔でいれたらいいんだ。
愛想笑いをやめたら、
「無理しなくていい」そう教えられた。
私は以前より、
笑顔の少ない冷たい人になった。
だけれど、心は温かくなった。
私の住む世界は優しいと氣づけたし
必要なときに心からの笑顔が出るようになった。

これまで怖いと感じてきた「冷たい人」は、
”笑顔が少ないだけで心まで冷たいわけではない”
ということも分かった。
だからそんなに怯えなくていい。
そして、何より
嫌われるかもしれないという不安感からの行動よりも
安心した世界に生きる人の行動は
優しいものが多いはずだ。
普通の人からすれば
バカみたいな体験かもしれないけど、
私にとっては、
人生が変わる体験だった。
なぜかというと、
無愛想な他人への「笑顔になれよ」というジャッジも無くなったから。
他人に対して思うことは、
自分に対して思うこと。
私はずっと、笑顔を強要していたんだ。
そりゃ、辛かっただろう。
冷たくなったぶん、温かくなった。
人間って不思議だ。
~noteより転載~
—–