朝、車のタイヤがパンクしているのを発見!!(´;ω;`)
昨日乗った時に、でっかい釘がささってしまったようで…
JAFを呼んで対処してもらいました。
JAF呼んだのいつぶりかな?たぶん20年前くらい(笑)
会員だった!と氣づきました。
こういうときに助かりますね~、ありがとうございます!!
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喜ばれると嬉しい?
お世話好きで、おしゃべりなAさん。
すぐに他人と仲良くなって、自慢のパンやお料理をおすそ分け💛
もらった知人はとっても喜んで、「美味しかったよ💛」とAさんに伝えます。
それが嬉しくてAさんは、いろんな人をお世話しはじめます。
ですが、だんだん何だか楽しくなくなってきました。
誰かに会うたびに、「何か喜ぶものを…」とパンや料理を渡す日々。
「喜んで欲しい」という善意がだんだんと自分を苦しめだしたのです。
ついにAさんは、泣きだしてしまいました。
「人間関係をうまくやってるつもりなのに、なんでこんなに苦しいんだろう」
「喜んでほしい」でも「苦しい」
「私がそんなにしてあげる必要ないのに」でも「してあげなかったら嫌われるかもしれない…」
この思いがグルグルと巡ります。
からっぽのコップの水
Aさんは、とっても「いいひと」です。
いや、とっても「いいひとになりたい人」です。
これが悪いわけではありません。誰だって、喜ばれたりすると嬉しいものです。
では、なぜ苦しくなってしまうのでしょう?
それは、Aさんのコップの中の水が空っぽだからです。
「分け与えすぎ」なんです。
自分のコップの中の水が空っぽなのに、善意で相手に分け与えると、自分はより枯れてしまいます。
なぜ、そこまでしてしまうのか?
それは、「喜んで欲しい」の奥にある【嫌われたくない】【いいひとになりたい】からです。
何度もいいますが、これが悪いわけではありません。
もっと、奥底には【誰かに喜ばれないと私に価値がない】があります。
だから、自分のコップの水は空っぽなのに、相手に注ごうとしてしまうんですね。
価値の消失が怖いから。
まずは、自分のコップを満たす
幼少期に親にしつけをしっかりされたり、
寂しかったのに我慢したり、
大人の顔色をうかがうのが得意だったりすると、
がまんしてでも【誰かに喜ばれないと!】【そうじゃなきゃ私には価値がない】という前提ができやすいです。
このブログの読者さまのなかにもそういった思いをもっている人がいるのではないでしょうか?
その前提に氣づいたら、「私は分け与えすぎてしまう」という特性を理解しましょう。
相手に喜ばれるのは大変うれしいことですが、
何でもしてあげてしまう必要はありません。
そして、まずは自分を満たすことから。
コップを満タンするまで。

コップが満タンになり、溢れてきた分を相手に注いでください。
「もう、こんなに溢れちゃってどうしようもないのよ💛」ってくらい満タンにしてくださいね💛
もう一度いいます。
溢れた分だけ、を相手に注ぐのです。
忘れないでくださいね💛
今日も伴走しています💛
★たましいの旅にはこちらが大いに役立ちます!!