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【超重要】私たちは「本当に」分かり合える?

みなさん、奇跡が起きました。

ぜひ、見てください。

これは何かというと、

「電子レンジの取っ手の上にのる里芋コロッケ」です。



なぜ、このような事態になったかというと

残り物の「里芋と明太子のコロッケ」をトースターで再温めしたんです。



温めが終わり、

取り出そうとしたところ

コロコロと天板から転げ落ち(コロッケだけに)

ピッタリとトースターの下にある電子レンジの取っ手に

乗りました!! これぞ奇跡!





この奇跡に叫び喜びまくった私を

冷たい目で見るこどもたち。(笑)

そんなの氣にせず「こんな奇跡はない!」と

はしゃぎまくりました。(笑)



さて、今日は

超重要なお話の動画でしたね♡

(切り替え早)



「分かり合える前提」と「分かり合えない前提」では、ものの見方が全く違います。

もちろん、「分かり合えない前提」なんて

「なんだか残念💦」だと思うのも分かります。



でも、

その分かり合えない前提こそが

お互いを知り、

自己を知るために必要なものであったりします。



そして、この「分かり合えない前提」だからこそ

【共感】という最強エネルギーを手にすることができるんですね。

(レベルアーップ♡)



分かり合えない前提で生まれる感性

例えば、分かり合える前提だと

「分からない」という相手に対して

「なんで分からないの?」(分かって当然でしょ)

「あなたはどこかが違う」

「あなたは〇〇すべきだ」

「あなたは違うからダメだ」

など、

これまで私たちがよく聞いてきたようなクソワードが飛び出してくるわけです。(笑)



「分かって当然」

「分からないはずがない」という思考が

強制や縛りに発展しやすいということですね。

(ただ、宇宙同士は繋がってるから安心してください♡

人間は「個」プレイしてるだけですから♡)

では、「分かり合えない前提」で考えてみましょう。

「相手と私、みんな違うよね」

「理解されなくても私は私でいい」

「違うもの同士どうしたら共存できるかな」

「違ってもそれぞれで良い」

「分かり合えない」からこそ、お互いの違いを尊重し

どうすればいいか?という思考実験が始まります。

その思考実験により生まれる「感性」は

現実や社会を変えていきます。



社会に必要なのは「共感」よりも【共感ポイント】

分かり合えない前提だからこそ、

分かり合えたときの喜びはひとしおです。



あなたは日本人で、私がイタリア人だとしましょう。

おいしい和食を一緒に食べて、

言葉は通じないけど

イタリア人の私が「おいしい」という表情をしたら

おそらくあなたも嬉しいはずです。



これが【共感】ですね。

言葉が通じない相手とは、少し「分かり合えた」だけで嬉しいものです。

そういう経験はおそらく誰にでもあるはずです。



これは、

「言葉が通じないから分かり合えないかもしれない」という前提があるからです。



言葉が通じて、近い間柄であればあるほど

「分かり合う」ことが当たり前になって

「なぜ分からないの?」という

状況に陥ることは家族間でも多いものです。



実は、この社会では【共感】がないがしろにされていると感じています。



「分かり合える前提」で生きている人が多い場合、

【共感】して当たり前の社会が出来上がります。



【共感】が当たり前になると、それは全体性への働きにより

同調圧力のような半ば強制へとカタチを変えます。



そうなると、マイノリティの立場は「違う」ことを理由に排除されてしまい

「共感が当たり前」のマジョリティだけがこの世界に残ります。

(マイノリティの存在が隠される)



では、

それぞれが「違う」として

この社会で共存していくにはどうしたらいいでしょうか?



ここで必要なのは【共感ポイント】を探すことです。



そもそもどう在りたい?を探る

スピな私と、超理論的で理数系の夫は正反対です。

出来事に対しての見方も、パンひとつ選ぶにしてもぜんっぜん違います。笑



割とこれまでは、些細な事で「分かってよ!」と言い合ってきました。



そうやって【共感】を得ようとすればするほど、

お互いの「違い」が際立ってしまうんです。

「なぜ分かり合えないのか・・・」

「分かり合えるはずなのに・・・」

そう考えていました。



でも、今私たちは「分かり合えない前提」で共にいます。

そうすると、パン一つとっても趣味が合っただけで笑えてしまいます。



大事な物事を決めるとき、

「違い」が大きくでるとき

いつも氣をつけるのは「そもそもどう在りたいか」を探ることです。



私たちはどうしても目の前の「違い」ばかりに氣をとられ、

「どうやったら同じになるか」ということばかりに占領されます。



でも一番大事なのは、

そもそも「どう在りたいか?」ということなんです。



「幸せになりたい」という【共感ポイント】があるなら

そこはだいたいお互いが同じ場所を目指しているということなんです。

(そのやり方は違っていい)

目の前の出来事についての【共感】を得るより、

どう在りたいかの【共感ポイント】を探って

お互いの「違い」を認め合いながら、

それぞれが出来ることをしていった方が

強制や縛りは起きにくくなります。



ひとつじゃなくていい

私たちはひとつである、とスピリチュアルで言われ

統合と叫ばれる昨今の業界では「ひとつじゃなくていい」なんて言うのは

相当なヘンタイです。(笑)

(*´д`*)ハァハァ



でも私たちは、

わざわざ「個」を選んでこの地球にきているわけですね。

だから無理やり「ひとつ」にならなくていいんです。



違いを楽しみ、味わい

その中でお互いに氣づいていけばいいわけです。



そして、お互いの人生が交差するとき【共感ポイント】が合えば、

それぞれのやり方で到達できるよう

応援すればいい。



なんて自由で、楽なんでしょう(笑)



あなたも周りの人との【共感ポイント】を探って

それぞれの「違い」を楽しんでみてください♡



案外、これまでは「なんで一緒じゃないの?」と思っていたことが

氣づきと学びに溢れていますよ♪



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